昔むかし、まだスマホもテレビも電化製品など微塵もなかったころのお話です。
人は大自然に寄り添って暮らしておりました。
当時は、自然こそ、心を支えてくれる友であり、時には、夢を砕くほどの災害をもたらす敵のような存在でした。
そう、自然は神であり、親友でもあったのです。
ろうそく程度の灯りしか、持ち得なかった時代。
月明かりの神々しさを、当時の人は生活の中で知っていました。
そんな自然と一緒に暮らしていた頃の禅宗の僧侶は、月明かりを感じながらこのような禅語を思いつくのです。
「風吹不動天辺月 雪圧難摧澗底松」
かぜふけどもどうぜず てんぺんのつき
ゆきおせどもくだけがたし かんていのまつ
強い風が吹けば、あたりの物は飛び散り、建物は揺れ動きます。けれども、天上に輝く月は、少しも動じることなく悠々と照り輝いています。
大雪が降れば、多くの木々は、その重さに耐えかねて折れたり、潰されたりしてしまいますが、日頃から、雨に打たれ風に吹かれている「澗底の松」、つまり、谷底に育った松はビクともしない姿を見せています。
こんな月を、そして松を見て人々は
月のようでありたい、松でありたいと願うのです。
月や松に襲い掛かってくる風や雪とは、何でしょうか。それは、苦しみ、悩み、責任、生きていく使命、嘆き、挫折、悲観、誰もが抱えているものです。
どんな苦難が立ち塞がろうとも、生きる。
私たちは、そんな月であり、松でありたい。
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