「星になれたら」(Mr.Children)の名曲

禅の世界
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禅語「放下着」とは、執着を捨てろ!の意味です。決して「裸になれ!」の意味ではありません

 

下着を放る、と書くので、思わず真っ裸を連想してしまいますが、そうではありません。

「放下」「着」という字で別れ、放下はまさに「捨てなさい」の意味。「着」は「❗」のあて字で、放下を強調する字となります。

 

この禅語が生まれたのは今から千年前の中国・唐の時代。

「ある時、趙州(じょうしゅう)和尚のもとに、一人の修行僧が訪ねて来ます。修行僧は趙州和尚に問いかけます。『長い修行のかいがあって、煩悩妄想をすべて捨て、高みに到達することができました。

これから先は、どう修行したらいいのでしょうか』。

趙州和尚は『放下着』と答えました。

 

つまり、すべてを捨てることができた私を見てくれ!と言わんばかりの修行僧に対して、「その思いすら捨ててしまえ」という意味で放下着と言ったのです。放下着とは、すべての執着を捨て去れ、執着を空っぽにしてみろという意味なのです

 

元々、放下とは、投げ捨てる、放り出す、捨て切るという意味の言葉です。

 

捨てられないということがいかに自分の負担になっているかということを、ブッダは次のような例えで弟子たちに説明したことがありました。

ある時、旅人が川に差しかかりました。とても大きな川で、対岸に渡ることができません。そこで旅人はいかだを作ることで、無事に対岸へと渡ることができました。その時、旅人は次のように思います。このいかだはとても役に立ったから、捨てずに、かついで道を進むことにしよう。

 

ブッダは弟子たちに問います。『この旅人のいかだに対する対処は適切だったと思うか。きっと誰もそうは思わないだろう』と。

いかだをかついで歩けば、すぐに疲れてしまう。つまり、たとえ役立つものであっても、正しいことであっても、執着することでそれが負荷をもたらすものに変わってしまうということ。

正しいことでさえ執着するべきでないのに、ましてや正しくないことに執着をしたら、苦しみしか生まれない。だからこそ執着心から離れるように、という教えです。

 

放下着の解説を見ていると、Mr.Childrenの名曲が頭に浮かんできました。

 

「星になれたら」

 

「この街を出て行く事に

決めたのは いつか 君と

話した夢の 続きが今も

捨て切れないから

 

何度も耳をふさいでは

ごまかしてばかりいたよ

だけど 今度はちょっと違うんだ

昨日の僕とは

 

こっそり出てゆくよ

だけど負け犬じゃない

もう キャンセルもできない

 

さようなら 会えなくなるけど

さみしくなんかないよ

そのうちきっと 大きな声で

笑える日が来るから

動き出した 僕の夢 高い山越えて

星になれたらいいな」

 

これまでの執着を捨てて、彼女とも別れ、さらに、住み慣れた街を去ってまで、追いかけようとした夢。

 

その実現に向けて、新しい世界に飛び出そうとしている。

 

ずっとずっと、悩んできた。何がきっかけになったかは、話さないけど、

昨日までの僕とは違う。もう決めたんだ。

 

自分を避難する声に耳をふさぎ、聞こえないふりで

ごまかしてきたけど、

 

もう笑われたって構わない。

 

この空は、どこかで君とつながっているのだから。

 

もう寂しくなんてない。

 

いつか、いつの日か、また二人で笑い合おう。

 

 

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